[OVA] 2
 GREEN vs RED

更新日:2008年4月6日

放映日:08年4月2日
監督:宮繁之
脚本:大川俊道
キャラデザ:西村貴世

※但し書き
アニメ作品としての『ルパン三世』は二重カッコで『ルパン』と 表記しています。
キャラクターとしての「ルパン三世」は一重カッコで「ルパン」と表記しています。


【主人公・ヤスオのビルドゥングスロマン】
『ルパン三世』という冠タイトルですが、ルパンは主役ではありません。
主人公はフリーター・ヤスオ。彼が、「ルパン」に憧れ、「ルパン」になろうとするお話です。
しかし、一般にイメージされる「ルパン」ほどの器にまで、ヤスオ青年が成長できたとは、管理人は思えませんでした。
『ルパン三世』という作品である以上、やはり「ルパン」が主役であって欲しいです。
「ルパン」の出番がなくとも、「ルパン」の存在感を感じられる作品であって欲しいです。

大塚氏「そういう意味では不二子をはじめ、各キャラクターの性格設定がちゃんとあって、
そのアンサンブルがあの作品の魅力を出しているとも思う。
押井さんにも、各キャラクターの性格をかなり細かく書き出して、文章化してよく吟味し、
それを映画の中で取り違えないようにして描いて欲しいですよね。性格間違えちゃうと、表現までおかしくなっちゃうでしょう。
その上で、あまり過去のものにとらわれないで、自分の物を打ち出していくのが正当だし、そうでなきゃいかんと思いますね。」
(「アニメージュ押井ルパン特集/押井守・宮崎駿・大塚康生座談会」( 1984年10月号掲載)より引用。)

大塚氏の当時の発言を拝読すると、本作は失敗作だったと思わざるをえません。

【マンネリズムの打破?】
宮監督はマンネリズムを打破したかったようです。
宮監督にとって、マンネリズムを打破するということは、「ルパン」が主人公ではない『ルパン』を作ることだったようです。
「今までとは違う新しいルパン」だそうですが、使用されたモチーフは過去作へのオマージュのコラージュでした。

【「押井ルパン」へのオマージュ】

幻に終わった「押井ルパン」と本作の共通点。

1,「ルパン三世」という人物は虚構である。(本作では「ルパン三世」はコードネーム)
2,お宝の正体が「核」である。ルパンは、お宝を手にする瞬間まで「核」であることを知らない。
3,フィクションでありながらもリアルに描写された「東京」が舞台。
(「押井守インタビュー」『キネマ旬報増刊 THEルパン三世FILES〜増補改訂版』所収/1998年/キネマ旬報社)

ここまで、「押井ルパン」を再構成しようとするということは、宮監督には、オリジナルな発想を形にしたいというプライドがないのでしょうか。
また、魚眼レンズ的描写、雨のシーンの多用、社会風刺など、演出面でも押井守氏の影響を色濃く感じられます。

【過去作へのオマージュ】

過去作のオマージュシーンが多用されていましたが、名シーンを抜き出すだけなんて、誰にでもできることです。
それこそ、無料動画サイトでMADを作成している素人にでも、やろうと思えばできます。
過去作の名シーンを、現代版にアレンジしてなおかつ話の本筋に絡めることが出来てこそ、
オマージュの意味があるのではないでしょうか。

【ルパン対ルパン】
「ルパン対ルパン」という絵になるモチーフを使いたかったのはよく分かります。
このモチーフは、セカンド「ルパンの敵はルパン」「ルパンを殺したルパン」で既に30年前に2回も使用されています。
「ルパンを殺したルパン」では、次元対次元、五右ェ門対五右ェ門までやっています。
過去2作は、このモチーフをあまり生かしきれていなかったので、上手く昇華した作品を作りたかったのでしょうか?

【作品のメッセージ性】
宮監督はニートやフリーターや格差社会を描きたかったとのことです。
(「『Green vs Red』トークイベント 完全レポート!」『ルパン三世officialマガジン vol.15』所収)
そんな5年くらい使い古されたテーマを語ることに意義があるかどうかは、ここでは問いません。
しかし、そのメッセージを上手く描けていたかというと疑問の余地があります。
過去作で、『ルパン』にメッセージ性を盛り込んだクリエイターとしては、宮崎駿氏が挙げられます。
宮崎駿氏は、「アルバトロス」「さらば愛しきルパン」で、資本主義批判・軍事批判をテーマに盛り込んでいます。
そのような大上段なテーマを盛り込んで、なおかつエンターテイメントとしての爽快さを維持できるのは、
宮崎駿氏ほどの才能の持ち主でないと難しいのかもしれません。
宮崎氏でさえ、自身のイデオロギーを『ルパン』に盛り込んだことに批判の声があるわけですから。

【エンターテイメントとしての『ルパン』】
しんみりというか、じっとりとした世界観で、エンターテイメントとしての爽快感が感じられません。

宮崎氏「押井さんのやろうとしていうことは、すごくわかるんだけど、その一方で「ルパン」みたいな映画っていうのは、
とにかくスッキリっていうのが非常に大事な要素なのね。ああいうのに金払っている人間はね、スッキリしたくて劇場に来るわけですよ。」
大塚氏「そうなんですよね。それはすごく大事なことだと思う。」
(中略)
宮崎氏「でもねぇ「ルパン」みたいなものは、やるんだったらエンターテイメントに徹する覚悟がないと、と思うな。」
(「アニメージュ押井ルパン特集/押井守・宮崎駿・大塚康生座談会」( 1984年10月号掲載) より引用)

「スッキリ」といっても色々な描き方があると思います。
例えば、「カリオストロ」のような、健やかで古典的な世界観でのハッピー・エンドを目指すこと。
「セカンドシリーズ」で描かれたような、ルパン一味の盗みを大成功させること。
「ファーストコンタクト」のように、視聴者側にトリックを仕掛けて、最後の解釈は視聴者にゆだねる。始まりを感じさせるエンディング。
本作は、これら前作とは違う形の『ルパン』を目指したのでしょうが、残念ながら「スッキリ爽快」とは思えない演出でした。

【コードネームは「ルパン三世」】
「ルパン」はコードネームで大勢のルパンがいて、その中で一番すごいルパンが本物だという設定は、
もはや『ルパン三世』という作品である必要はありません。
「007」とか「バットマン」とかでも出来そうな設定ですね。
冒頭で、前作「ルパン」のプロファイルを次々と映し出し、「全員、顔も違えば手口も違う」と言っていたにもかかわらず、
一斉検挙されたルパンは全員同じ顔でした。
五ェ門が「この顔は斬れない」と言っていた暴走ヘリルパンも、同じ顔なわけですし。
変装して同じ顔になっているということだとしたら、冒頭の「顔が違う」というセリフと矛盾しますよね。
そもそも、今までのルパンがキャラデザやジャケットの色、声優が違っていても、みな「ルパン」であるということが、
宮監督の最初のアイデアだったそうですから、やはり設定破綻と言わざるを得ません。
作画が面倒くさかったのかもしれませんが…。
ところで、「ルパン」が世代交代するなら、次元・五ェ門・不二子・銭形は世代交代しなくていいのでしょうか?

【ルパンが盗みをする理由は名誉でも欲でもない】
視聴者に観て楽しんでもらうことよりも、製作者側の評価を伺う姿勢しか見えていない作品という印象を受けました。
監督がやりたいことをやりきったという突き抜け感も、あまり感じられません。
宮監督が、この作品を出世作にしたいのは分かりましたが、結果として駄作に仕上がってしまったというか…。
宮監督が「ルパンという名(コードネーム)」にこだわるのは、自分のアニメ監督としての名にこだわっていることが反映されているのではないか、と考えると興味深いものがあります。
ルパンが金や名誉のためではなく、盗みを純粋に楽しんでいたように、アニメを作ることを楽しめる方に『ルパン』を作っていただきたいです。

【時系列】
時間系列をバラバラにしたシーンを挿入する演出手法は、話をややこしくして視聴者の理解の妨げになるだけで、作品的に意味はありませんでした。
時系列を混在させることによる、ストーリー的トリックもなかったですし。
これは、ケチなやり方で、わざと難解に見せかけようとしているとしか思えません。
この作品構成は、上っ面だけの押井守氏へオマージュですね。
押井作品は本当に難解なんですが、本作は難解にすればカッコいいと思っているところが見え隠れして興ざめです。

冒頭のヤスオとユキコのシーンは、中盤に挿入されたヤスオがユキコの実家に挨拶にいったものの、
怖気づいてヤスオが姿をくらましたシーンの後だと思われます。
さらに、終盤、夜に、ユキコの寝たきりの祖母の元にヤスオが訪れるシーンは、冒頭のシーンの後のことですね。
ヤスオは、自分がしがないラーメン屋の店員であるという立場が不甲斐なく、恋人の親に会うことも出来ない男。
そんなヤスオを、病床のおばあちゃんが「あなたならできるわ」と励ますのです。
このユキコの実家へ訪問するシーンは、最近結婚したばかりだと言う宮監督の実体験をオーバーラップさせたものなのでしょうか。
老害批判をテーマに盛り込みながらも、老婆に励まされるという本末転倒ぶり。
いや、そもそも「本物ルパン=紅屋の老主人」なわけですから、
「力不足でも、若者が時代を切り開く」と言っておきながら、老人の後押しを求める甘えっぷりは、不快でしかありません。

【包帯を巻いたルパン】
包帯を巻いたルパン二人。広告でも使用されたモチーフです。
意匠論研究者・森川嘉一郎によれば、包帯を巻くなど病や怪我のモチーフは、『エヴァンゲリオン』全盛期の時代の趣味だとのことです。
(森川嘉一郎「エヴァンゲリオンのデザイン理論」『エヴァンゲリオン・スタイル』所収/森川嘉一郎編/第三書館/1997年5月31日)
1975年生まれの宮監督は、エヴァ全盛期20代前半。1999年ディーンに入社。まさにアニメ青年まっさかりの時代だったのでしょう。
自分が一番影響を受けた時代の意匠を10年遅れで用いるところに、彼のセンスの限界を感じざるを得ません。
(宮監督の経歴は日本映画監督協会より引用)

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【作画】

背景美術は本当に綺麗です。
人物はそれほど綺麗ではなかったのが残念。
アイスキューブを収納しているボールの3Dはお粗末な出来でした。

【アクション】
アクションは動きが良かったです。
特に、終盤の次元の銃撃戦は最高でした。

【OP&ED】
OPは二つありますよね。
炎の宝物と78(2002ver)の二つ。
炎の宝物は「カリオストロ」だけでいいです。
たくさんのルパンが映し出されるのOPはおもしろかったです。

【ゲスト】
今回のゲストは、ルパンと次元、五ェ門、不二子でした。
ヤスオが主人公で、ユキコがヒロイン。
銭形がストーリー・テラー。

【ルパン】
クリカンさんのルパンが出てくるとほっとしました。
(紅屋の老主人が本物ルパンなんですね。ルパンとしては、まったく行動しないけど)
ちなみに、紅屋の老主人のセリフ「男は男に生まれるのではない、男になるのだ。」というセリフは、
フランシス・ボーボワール(実存主義哲学者にしてフェミニズム思想家)の『第二の性』「女は女に生まれるのではない、女になるのだ。」のもじりですね

【次元】

出番はあまりないものの、存在感はありました。
終盤のヘリとの銃撃戦は、最高の見せ場です。
縛られている五ェ門を見て、とっさに引き金を引けないところがいい。
マグナムを「おじさんなんか40年使っているんだから」というセリフは、『ルパン』お得意のメタセリフですね。
このセリフは、『ルパン三世』という40年の歴史のある作品を、「もう古いからおもしろくなりようもない」と言って切り捨てるのではなく、
手入れ次第=アレンジ次第で、現代にも通用する作品であると言っていると解釈すると、おもしろいですね。
そしてそのセリフをパイロットフィルム時代から小林清志氏が演じている「次元大介」が言う、という点にも感慨深いものがあります。
上記の点を踏まえると、対ヘリ戦での「おっさん、なめんなよ!」というセリフも興味深いです。
管理人も、『ルパン』はいつの時代にも通用する普遍的な作品だと思います。

【五右ェ門】

出番はほとんどないものの、それなりの存在感。
ルパンの顔をしている偽者を斬れないところは、情に厚い五ェ門らしくて良かった。
しかし、おとなしく捕まったままっていうのはちょっと解せない。

【不二子】
緑ルパンをさっと助けて手を組んだりするところは良かったです。
最後、酔いつぶれていた理由が不明。

【銭形】
「銭さん」と、原作寄りで呼ばれる銭形警部は珍しいですね。
銭形警部が有能に描かれているところは良かった。
最後、ルパンが救急車から逃走したとき、涙ぐんで喜んでいるとっつぁんも大好きです。

【ル次五の仲間度】
ルパン=コードネームである以上、仲間もへったくれもない。
セカンドやパースリで、三人仲良く暮らして、ババ抜きをしたり、麻婆豆腐を作ったりしていた日々は遠い過去。
次元とヘリとの銃撃戦で、縛られている五ェ門を見て、とっさに引き金を引けない次元と、
五ェ門が、ルパンの顔をしている偽者を斬れないところは良かった。

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